福井県三方上中郡若狭町脇袋の文化財

 
 
 法順寺

真宗大谷派。霊仙山。本尊 阿弥陀如来。
創建は永正年間(1504年~1521年)で開基は了円と伝える。
もと真言宗寺院で、山号を霊仙山と号し正法寺と称した。
天正年間(1573年~1593年)法順寺に改称した。
木造十一面観音立像は聖徳太子が彫り込んだものとも、定朝が彫り込んだとも云われる秘仏で(作風から平安時代末期に製作された正法寺の旧仏と推定されています)、檜の寄木造り、彫眼で白豪は水晶、頭上に化仏十一面、天冠をつけ左手に蓮花瓶、右手は親指、中指、薬指を曲げて身に条帛(じょうはく)をつけ、長い天衣(てんね)を両側に垂らしています。
台座は、四重座の蓮花で黒漆塗り、像高104.5cm、当時の当地方の仏像の中でも特に優秀とされ、大変貴重な事から昭和3年(1928)に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。
※秘仏の為、一般公開はされておりません。
(次回開帳は2026年10月頃予定)
 
 勝手神社

吉野勝手神社(奈良県吉野町)を総本社とする 
全国28 勝手神社の1社 

創建は不明。白山権現を合祀している。
鳥居は台輪式、笠木はW式タイプ、笠木と島木は共に反り増しあり襷墨、額束と扁額あり。



 
脇袋古墳群[国指定]
若狭の前方後円墳は現在17基が確認されていますが
そのうち3基は脇袋に有り、上ノ塚古墳・中塚古墳・西塚古墳、が昭和10年に国の史跡に指定されています。
古い記録によれば、かつて脇袋には七つの塚が存在したということです。現在では、その内、主軸をほぼ南北にした3基の前方後円墳、円墳と思われる糠塚古墳、埴輪と茸石を備えた上下の森古墳などが残っています。
古墳群の背後に、膳部山という標高約200mの山がひかえ、若狭の国造膳臣(かしわでのおみ)との縁を今に伝えているといわれています。


■上ノ塚古墳(昭和10年国指定史跡)

全長約100m、後円部径約64m、前方部長約48mを測り、3段築成で、北面する、若狭地方最大の前方後円墳です。
原形を極めてよくとどめており、かつての、周濠の存在も確認できます。
4世紀末から5世紀前葉に造られた古墳です。


■中塚古墳(昭和10年国指定史跡)

5世紀中ごろの前方後円墳。]
脇袋(わきぶくろ)古墳群のなかで最も谷の奥に築造された古墳で、上ノ塚古墳、西塚古墳とともに、1935年(昭和10)に国の史跡に指定された。
墳丘は変形しているが、前方部を南に向け全長72m、後円部径30m、高さ6m、前方部幅26mで3段築成。
盾形の周濠の痕跡が水田になり、埴輪(はにわ)と葺石(ふきいし)が確認されている。


■西塚古墳(昭和10年国指定史跡)

大正5年国鉄小浜線の敷設のため土取りがなされ、現在では後円部の一部を地上にのみとなっています。
周辺の調査から全長約74m、後円部径39m、前方部幅47m、高さは前方部が後円部よりやや低くなると推定される南面した前方後円墳です。
後円部の石室からは、金製耳飾、鏡、金銅製帯金具、銀鈴、銅鈴、馬具、冑など多彩な副葬品が発見されました。
現在、宮内庁書陵部の所蔵となっています。
この石室も大陸の影響を受けた特徴的な形態をしており、
5世紀後葉に造られたこの古墳の被葬者は、日本書紀の記載と出土品の符合から、膳臣斑鳩(かしわでのおみいかるが)その人ではないかとされています。
上ノ塚古墳

 中塚古墳
 西塚古墳